小田実 “私が見たのは無意味な死だった”【地球のことば(31)】

 連日連夜、ウクライナ情勢が伝えられている。現地から伝えられる映像の中で、最前線で戦う兵士の姿はきわめて限定的である。砲弾飛び交う最前線に報道カメラは設置されていないからである。代わりにそこに映し出されるのは、まさに焼け野原となった街並みや廃墟と化した建築物であり、傷ついた子どもたちや泣き叫ぶ母親たちであり、黒い遺体袋であり、道路に放置され、画面ではモザイク処理された遺体である。こうした映像は戦争の一部を切り取ったものではある。しかし、そこには戦争の真実や真相が映し出されることがある。同時に、撮影を許可する側や映像を提供する側の意図や思惑が隠れていることにも留意する必要があるが、ここではそれらを問わない。
 こうした映像に接していると、小田実の「難死」という言葉が思い出される。(続きはこちらへ)
出典:小田実 「『難死』の思想」『戦後を拓く思想』講談社、1965年、11頁。