はじめに:「教育」なんて自分には関係ない?
「自分は教員志望じゃないから『教育』なんて自分には関係ない」と思っていませんか。しかし、教育に携わっているのは教員だけではありませんし、学校だけが教育を行っているのでもありません。たしかに教員や学校は教育の中で大きな役割を果たしていますが、私たちは教員や学校だけでなく、家族や親戚、先輩や友人、生活する地域や所属する組織などの身近な人々や集団からも教育を受けてきました。また、図書館や博物館、動物園や水族館、さらには報道や映画、小説や演劇、ドラマや音楽、マンガやアニメなど、多様な施設やメディアを通じても多くを学んできたはずです。そして、大学を卒業してからは、今度は自分が誰かに教えたり、さらに新しいことを学び続けていくことになります。こう考えると、生涯教育や生涯学習という言葉があるように、教育や学習という営為は、教員や学校だけの専有物ではなく、時間や空間を問わず、人が生まれてから死ぬまでけっして途切れることがないものだと言えるでしょう。
他方、多言語化や多文化化、多国籍化や多民族化などが加速する今日の日本社会にあって、大きな役割を果たすことが期待される教員も学校も数多くの危機や困難に直面しています。そうした危機や困難を乗り越えるために、多方面から「教育改革」が叫ばれ、法律の改正や制度の是正が繰り返されてきました。しかし、「教育改革」が進まない原因や責任は、教員や教育現場の側にあるとされ、本質的で構造的な「改革」はなかなか実現していません。言い換えれば、「教育改革」が進まないその根本には、明治維新以降の日本の近代化や戦後の高度経済成長を支えてきた日本の教育制度や学校文化のあり方、そして何よりも、教員や学校を取り巻くわたしたち自身の教育観や学校観が関係しているのではないでしょうか。そうだとすれば、変化が激しく、先行きが不透明なこの「グローバル時代」の中で、わたしたちがどのような教育や学校を構想し選択するのかということは、どのような社会や人生を構想し、どのような学校や教育制度を選択していくかということとも密接に関わってくると言えるでしょう。
このゼミでは、「教育」や「学校」をキーワードに、これからの社会や世界のありようを考えていきたいと思います。また、その逆に、今の社会や世界の現状や課題を考えていく中で、「教育」や「学校」のあるべき姿が見えてくるかも知れません。(Jan. 5, 2021)
☆地球のことば (18)
We don’t need no education
We don’t need no thought control
No dark sarcasm in the classroom
Teachers leave them kids alone
Hey, teacher! Leave us kids alone!
All in all it’s just another brick in the wall
All in all you’re just another brick in the wall
教育なんて受けたくない
洗脳なんてやめて欲しい
教室に陰湿ないじめは必要ない
教師は子どもたちに干渉するんじゃない
先生!わたしたちのことはほっといて!
結局、学校も壁の中のレンガにすぎないんだ
所詮、教師も壁に埋め込まれたレンガなんだよ
(仮訳:湯本浩之)
ロジャー・ウォーターズ(Roger Waters アーティスト〔英国〕 1943-現在)
Original Source: Roger Waters, “Another Brick in the Wall Part 2”, Pink Floyd, The Wall, Harvest Records, 1979.
出典:ロジャー・ウォーターズ「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(パート2)」ピンク・フロイド『ザ・ウォール』東芝EMI、2000年。
Official Music Video: Pink Floyd♪ ’Another Brick In The Wall, Part Two’ YouTube.
<コメント>
抑圧的で管理的な現代社会の中で、その抑圧や管理から自己を防衛するために、人は知らず知らずのうちに他者や社会との間に「壁」を築いていく。その「壁」は人の心の中に孤独感や疎外感を生み、それらはやがて閉塞感や絶望感となり、そして他者や社会を拒絶し、逆に攻撃する妄想や狂気へと姿を変えていく。英国の代表的なプログレ*1 バンドであるピンク・フロイドのアルバム『ザ・ウォール(The Wall)』では、その「壁」が一貫したコンセプトである(図1)。
同アルバムから先行発売されて大ヒットとなったシングル曲「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(パート2)」は、子どもたちの個性や自由を抑圧する管理教育がテーマとなっている。そして、子どもたちを型に嵌め込み、枠に流し込む学校や、かれらを嘲りと虐げの対象とみなす教師も「壁」を形づくる「レンガ」であると喝破している。「教育なんて必要ない」という過激なメッセージが当時、議論を呼んだというが、英国や米国をはじめ、欧米各国の音楽チャートで軒並み第1位を獲得した背景には、欧米の伝統的な教育や学校に対する不信や懐疑の鬱積があったのだろう。
しかし、本曲の歌詞の中で、学校や教師を「another brick(もうひとつのレンガ)」と表現しているのはなぜか。本曲発表から3年後の1982年には、アルバムのコンセプトに基づいて映画『ピンク・フロイド ザ・ウォール』*2 が制作されているが、歌詞の内容が投影された各場面では、映画の主人公ピンクを苦悩させてきた「壁」が視覚的に表現されている。”Another Brick in the Wall”という曲は3部構成となっており、本曲はその中の「パート2」である。前段の「パート1」の映像を観ると、ピンクは幼少時代からすでに「壁」を築き始めており、その「壁」を作る「a brick(ひとつのレンガ)」が不遇な家庭環境であったことが分かる。そして、「パート2」では、多感な少年時代のピンクの人格形成に影響を及ぼしたであろう当時の英国の学校教育を「もうひとつのレンガ」として表現したのだろうと推察できる。
なお、映画の主人公ピンクを演じたボブ・ゲルドフ(Bob Geldof, 1951-現在)は、その後1984年に、アフリカ飢餓救済のためのチャリティー・プロジェクトとしてバンドエイド(Band Aid)を結成したほか、翌85年にはチャリティ・コンサートとしてライブエイド(Live Aid)の開催を呼びかけている*3 。(Jan. 5, 2021 rev. Mar. 24, 2021)
*1 「プログレッシブ・ロック」の略で、商業性よりも芸術性を追求した“進歩的・革新的なロック”という意味。1960年代後半に英国で生まれ、70年代にかけて欧米や日本でも支持を集めた音楽ジャンル。当時の代表的なプログレバンドに、ピンク・フロイド以外に、キング・クリムゾン、イエス(YES)、エマーソン・レイク&パーマー(ELP)、ジェネシスなどがあった。音楽制作では、テーマやストーリーの一貫性を重視したコンセプト・アルバムと呼ばれる手法を取り、曲間に切れ目がなかったり、1曲あたり20分を越える曲も珍しくなかった。他方でその「芸術性」が“高尚で難解な音楽”という批判や揶揄を招いて、70年代後半の英国の音楽界は、“パンク”や“ニューウェイブ”の時代を迎えることとなった。
*2 Pink Floyd The Wall, Directed by Alan Parker, Screenplay by Roger Waters, MGM/UA, 1982. 日本語版DVD『ピンク・フロイド ザ・ウォール』監督:A・パーカー、脚本:R・ウォーターズ、ソニー・ミュージックエンタテインメント、2000年。
*3 有名アーティストらによるこうしたチャリティ・コンサートや裕福な著名人(セレブ)の現場訪問は、多くの無関心層の耳目を発展途上国の過酷な現実や海外援助の必要性などに向けさせるという一定の肯定的な評価がある。その一方で、「援助される側」の国々や人々は無能で無力な存在であり、施しや憐れみの対象であるという先入観や固定観念を植え付けてしまうという批判もある。
なお、映画『ポバティー・インク(Poverty, Inc.)』では、「貧しく可哀想な人々」という「発想や印象や言葉」によって「かれらを援助すべき」という特定の信念や態度が正当化され、それが「貧困産業」を助長しているという声を紹介し、こうした「援助する側とされる側」の立場や関係を「もっともらしさの構造(plausibility structure)」という概念を援用して説明している。(参考:『ポバティー・インク:あなたの寄付の不都合な真実』監督:マイケル・マシスン・ミラー、2014年、配給:ユナイテッドピープル、https://www.cinemo.info/43m)