学部ゼミ生の卒業論文題目

 本「研究室」に所属した学生の卒業論文の題目は以下の通りです。必ずしも「グローバル教育」を研究テーマとしているわけではありませんが、教育や地球的課題につながるテーマであることが分かるのではないでしょうか。

  2020年度ゼミ生

<2020年度>
「外国人児童生徒教育から見る日本語教育の課題と展望:地域や学習者の多様性を生かした教育を目指して」
「イエナプラン教育の日本の小学校教育への導入の課題と可能性」
「国内における日本語教育機関と留学生の現状と課題:留学生は『学びたい』のか、『学ばせられている』のか」
「対中国への言説から生まれる日本像:否定的な中国像を形成するものは何か」
「日本における多文化教育の現状と課題:カナダ・アメリカの教育プログラムから学ぶ」

     2019年度ゼミ卒業生

<2019年度>
「グローバル時代の求める教育:グローバル能力育成を目指したグローバル教育の実践」
「畜産における地球環境への負荷とその改善策:消費者にできる食肉制限のあり方とその方策を考える」
「現代社会における教育格差の研究:都市と地方における格差に注目して」
「対人関係と人生に影響を与える自己価値感と愛着:対人関係の問題やいきづらさを感じさせる要因とは何か」

<2018年度>
「感性の再考:現代社会における感性の醸成方法」
「セクシャルハラスメントや性暴力に対する日本社会の認識と制度の不確かさ」
「社会問題に及ぼすSNSの影響と今後の課題に関する一考察」
「子どもたちの主体性を育む小学校英語教育の実践に向けて:学習意義の理解の観点から」

<2017年度>
「公害問題を含む環境教育推進の意義と課題に関する一考察:新潟県の公害教育実践の事例から」

<2016年度>
「日本における子どもの経済・学力格差に関する一考察:貧困がもたらす“負の連鎖”と“ひとり親家庭”への負担」
「日本の学校教育における食育の現状と今後の課題:『食』をテーマとした国際理解教育の実践に学んで」
「日本における人権教育の今後の在り方に関する一考察:在日外国人の人権保障に関わる問題を中心に」
「なくならない“いじめ問題”を解決するための一考察:『いじめ加害者』の『生きにくい環境』に着目して」

☆地球の言葉(22)

生まれた所や皮膚や目の色で
いったいこの僕の何がわかるというのだろう
運転手さんそのバスに
僕も乗っけてくれないか
行き先ならどこでもいい
こんなはずじゃなかっただろ?
歴史が僕を問いつめる
まぶしいほど青い空の真下で

真島昌利(Mashima Masatoshi アーティスト 1962-現在)
出典:真島昌利「青空」The Blue Hearts『TRAIN-TRAIN』meldac、1988年。

<コメント>
 歌詞にどんな想い託し、どんなメッセージを込めているかについて、アーティストは多くを語らないことが多い。「解釈は聴き手の自由に委ねたい」と余白を大きく残しておくことで、聴き手はその余白に自分の過去や現在や未来を、あるいは、わたしやあなたやあの人のことを書き込むことができる。ヒット曲づくりのひとつのテクニックなのかも知れないが、そうすることで、その曲と聴き手との距離感が縮まり、一体感が膨らんでいく。
 さて、この曲「青空」を聴いて人は何を思い起こすのだろう。作者であるマーシーこと真島昌利氏も、この曲の意図や背景について多くを語っていないようだが、「目の色」や「運転手」や「バス」といった言葉から、1955年に米国アラバマ州モンゴメリーで起きたローザ・パークス逮捕事件をどうしても連想してしまう。
 時代は最近まで下がって、2020年5月にミネソタ州ミネアポリスでジョージ・フロイトさんが警察官の暴行によって死亡した事件を契機に、ブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter)運動が米国全土に波及したが、コロナ禍の昨今ではアジアンヘイトと呼ばれるアジア系住民に対するヘイトクライムが急増しているという。
 この曲の中で「僕」は「そのバスに乗っけてくれないか」と精一杯の抵抗を示している。「行き先ならどこでもいい」のは、どこへ行くかが問題なのではなく、白人と同じ席に一緒に座ることが大切だと考えたからだろう。しかし、「こんなはずじゃなかっただろ?」と自他に問いかけざるを得ないのは、そんな「僕」に対しても「白人に席を譲れ!」という言葉がバスの運転手から投げつけられたからではないか。だから、歴史から何を学んできたのか、何も学んでこなかったのではないかと、「まぶしいほどの青空(あおいそら)の真下で」歴史に問い詰められる「僕(たち)」の不条理な感覚を吐露せざるをえなくなったのだろう。シンプルでストレートなフレーズと、どこかアコースティックなメロディーがメッセージを一層際立たせている渾身の一曲である。
 なお、この曲「青空」の公式ミュージックビデオが公開されていないようなので、動画サイトなどで検索しての視聴をお薦めしたい。(Apr. 12, 2021; rev. Apr. 15, 2021)

<メモ>「南北戦争」と「公民権運動」
 1865年に奴隷制廃止を掲げる北部州の勝利で終わった南北戦争後、その存続を訴えた南部州では奴隷制に変わる人種隔離政策を維持するための法律を制定し、それらはジム・クロウ法と総称された。南部州での人種隔離政策は第2次世界大戦後も続き、米国では黒人をはじめとする有色人種に対する人種差別が公然と続いていた。
 たとえば、アラバマ州では、公共交通機関の停留所や車内の座席も人種別に分かれていた。ある日、市バスに乗車して、黒人用の座席に座っていたローザ・パークス(Rosa Parks, 1913-2005)という女性が、白人の運転手から白人客に席を譲るよう指示された。車内が混んできたため白人専用の座席が満席となり、白人客が着席できなかったからである。パークスはこの扱いに対して、座席を譲らないという非暴力不服従の態度で抗議の意志を示した。それを見た運転手は警察に通報し、パークスは逮捕されてしまったのである。
 当時、モンゴメリーのバプテスト教会に着任して間もなかった若き日のマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr., 1929-1964)はこの逮捕を不当だとして強く抗議し、バス・ボイコット運動の先頭に立つようになった。キング牧師がこの非暴力不服従の手段を選んだのは、当時のモンゴメリー市営バスは多くの黒人利用客によって経営が成り立っていたからである。この抵抗運動はアメリカ公民権運動の嚆矢となり、南部諸州から全米に拡大。そして、キング牧師の有名な演説「わたしには夢がある(I Have a Dream.)」を生むことになった。1964年に公民権法が成立し、悪法で知られたジム・クロウ法は廃止されることとなった。これによって人種差別は法律上では解消されることとなったのだが・・・・・・。