本題に入る前に、「論文とは何か」について確認しておきましょう。ただし、「論文とは何か」について説明を始めると、1冊の本にもなりかねないので、ここでは簡潔に述べるにとどめておきましょう。たとえば50字程度で説明するとすれば、「論文」とは「ある問題について主張したいことや解明したいことを客観的かつ論理的に論述し、結論を提示した一定の文字数のある文章」であるといえるでしょう。ここで重要なことは「客観的かつ論理的に」という点です。
「客観的に」とは「客観的な根拠やデータに基づいて」ということです。すなわち、自分が主張したいことや解明したいことを、歴史的な事実や当事者の証言、調査や実験によるデータ、信頼できる統計資料、あるいは、その研究分野で積み重ねられてきた学術的な研究成果などを根拠にしながら議論を展開して、仮説を立証するということです。
さらに言い換えれば、「私はこう思うから」とか「自分はこう考えたから」という主観的な思考や感情、判断や推測などに基づいた文章ではないということです。筆者自身の経験や感想などを根拠とした文章には日記や感想文などがありますが、これらの文章では、主語が「わたし」という一人称になります。しかし、「論文」では客観的な記述や議論が求められますので、例外を除いて、「わたし」を主語とする文は基本的には記述されません。
もうひとつの「論理的に」とは、「議論の筋道を立てて」ということです。具体的に言えば、筆者である自分が「主張したいこと」や「解明したいこと」に関する「問い」を立てて、それを上記の客観的なデータや学術的な根拠に基づいて検証または立証を行い、その「問い」に対する「答え」を「結論」として導き出すということです。
「論文」をはじめ広く調査研究活動の中で論証しようとする「問い」のことを「リサーチ・クエスチョン(research question)」といいます。しかし、「卒業論文」の中には、この「問い」とそれに対する「答え」が記述されていないものが意外と少なくありません。たとえば、「問い」は記述されていても、その「答え」が明確に記述されていなかったり、記述されていたとしても「問い」とは関係ない別の「答え」が記述されていたりします。このように、「問いと答えが対応していない」、つまり「問答が成立していない」文章は「論文」とは呼べないわけです。どんなに「論文」の題目が魅力的であっても、どんなに途中の議論が興味深くても、「論文」冒頭で「問い」が提示されず、最後に結論としての「答え」が記述されていない論文は、「論文」としては失格となります。
「論文」とは、「問い-答え(問答)」という基本的な形式や構造を持った文章なのです。