ボランティア

 ボランティアが動揺を隠している。この身をどこに置いたらよいのか、この思いをどこにぶつけたらよいのか、所在無さそうに肩身の狭い思いをしている。
 日本人が“ボランティア”という言葉と対峙して久しい。以来、「無料奉仕」とオダてては重宝がり、「立派な方ね」とハヤし立てては敬遠してきた多くの日本人にとって、“ボランティア活動”とは迷惑でなければ疎遠な存在であり、“ボランティア”とは胡乱ウロンでなければ怪訝ケゲンな人物であるに違いない。
 一方、こうしたボランティアに対する無関心や無理解は、未熟なボランティアの理念的な優越感を増福し、独善的な排他性を助長する。また、周囲からの客観的な評価や外部との意志の疎通が欠落すると、ボランティアの内発的な成長を阻み、ボランティアを狷介固陋ケンカイコロウの城郭に閉じ込めてしまう。その結果、“自分勝手なボランティア”や“自己満足なボランティア”が誕生し、周囲の誤解や不信感はさらに深まり、外部との距離はますます拡大していく。
 「日本人の顔が見えない」と海外から批判された日本社会は、これを「金は出すが人は出さない」からだと取り違えて偏狭な国際貢献論に固執している。その是非についてはここでは論じないが、少なくとも海外は、日焼けで苦悶の表情を隠した自衛隊員の顔、あるいは善意や好奇心だけで満たされた安易な“海外ボランティア”の顔を見たいと言ったのではないだろう。
 ボランティア(volunteer)とは、「volonte(意志)のある人(-er)」であり、「自分の意志で行動を起こし、その結果に自ら責任を取る者」と解したい。自ら責任を取るとは、自分の過誤や損失を他人に転嫁せず、自分の功績や利益を他人と共有するということである。こうした「健全な個」というものに裏打ちされたボランタリーな市民の顔、そして愛他性・公益性・自主性・多元性・無償性などを備えた市民社会の顔を見たいのではないか。
 冒頭、ボランティアが動揺を隠していると書いた。ボランティアの動揺を見抜くほどの慧眼ケイガンの持ち主ではないのに垣間見えたのは、実はその動揺が隠しきれないほど大きかったからである。
 日本人国連ボランティアが凶弾に倒れた。

(『JANICnews』No16、1993年4月25日)

<ひとこと>
 カンボジア内戦後の1991年に紛争当事者間で国連主導によるパリ和平協定が締結され、1993年に総選挙が実施された。その選挙監視のために国連ボランティアとして派遣された中田厚人氏(享年25歳)と、国連平和維持活動(PKO)に参加していた高田晴行氏(当時、岡山県警、享年33歳)が相次いで凶弾に倒れた。犯行は選挙の形勢が不利となったポル・ポト派(クメール・ルージュ)による仕業によるものではないかとされたが、真相は明らかとなっていない。