米騒動

 ♪くさいまずいとののしられ/カルフォルニアには見下され/たまにはセットで買われても/減っていくのは国産ばかり――♪

 タイで音楽活動を続け、先ほど帰国したシンガー・ソングライターの豊田勇造さんが「タイ米ブルース」という歌を怒りを込めて歌っている。
 あれだけ騒いで騷がれた“米騒動”。日本の農業政策を厳しく批判する声も、米の自由化に断固として反対する声も、そしてそれらに反論応戦する声も、そうこうするうちに、輸入米の味に対する不満と「今年は豊作」という朗報にそれぞれ思い思いに安心してすっかり矛を収めてしまった。記録的な猛暑の報道に明け暮れたマスコミも、店先に行列した消費者も、緊急輸入されたタイ米の数奇な運命よりも、やはり水不足や山火事の方が一大事であった。
 タイの稲作には、乾期作と雨期作とがある。乾期作が可能なのは灌漑施設のある地域に限られ、多収量だが味は今一つの改良種が中心で、その大半が輸出に向けられるという。昨年11月に横浜港に到着したのは、「香り米」と呼ばれる品質の良い雨期作の伝統種ではなく、この乾期作の改良種であることを知る人は少ない。
 また、昨年タイ東北部は大かんばつに見舞われ、その日食べる米にも事欠く事態となっていたことを知る人も少ない。ただでさえ生活が不安定な多くの農民たちには大きな打撃となっただけでなく、日本の緊急輸入でタイ米の価格が急騰、都市貧困層の生活や他の輸入各国をも圧迫する結果となった。
 その頃、日本は米市場の開放で大揺れとなったが、なにタイ米は米菓子や合成酒などといった形で既に日本の家庭に届いている。日頃から各位ご愛用の冷凍の五目チャーハンにも、ファミリー・レストランでご注文のエピピラフにも実はタイ米が活躍していることを知る人はやはり少ない。
 こうしたタイ米の現実を知ることもなく、タイ農村の実情が知られることもないまま、♪くさいまずいとののしられ/草むらの中に捨てられた♪タイ米の無念を豊田さんは歌っているのである。
 「一粒も残さないで食べなさい」と諭し諭されながら育ってきたはずの日本人の奥深い味覚は、飽食の中でついに摩耗してしまったのではないか。
 「稲は実るにつけてウツムき、侍は出世につけて仰向アオムく」と日本を見つめるタイの人々も囁いているに違いない。

(『JANICnews』No.23、1994年8月30日)