あの騒ぎはどこへやら(2)

 湾岸戦争の時の日本が何かを引きずり何かに引きずられたように、何かを引きずる日本国憲法と国際貢献策が今また何かに引きずられている。その1つを「お茶の間の正義」と言ってもよいがここでは論を尽くせない。その1つを「平和な時の平和論」と言ってもよいがこれについては旧号で述べた。
 昨今の憲政の混乱と騒乱は何を如実に物語り、何を密かに訴えているのか。高尚な分析と高邁な洞察を駆使すれば、それを理詰めにすることは易しかろう。しかし、その理屈を国民一般が理解するのは困難でなければ窮屈である。かといって、議員諸氏なら容易に理解できると思うのは間違いでなければ勘違いである。国民一般が分からないことを議員諸氏が分かる道理も保障も今の日本には無いからである。従って、国民一般が分かることでなければ、議員諸氏にも分からないと腹を括り肝に命じるのが、大仰に言えば、健全な民主主義に至るまでの賢明な便法の1つなのではないか。
 事態窮まって「憲法の精神を尊重せよ」と問い詰められても、何が憲法の精神か分からない。「解散して民意を問え」と詰め寄られても、何が民意か分からない。法案に白黒つけることが憲法の精神だろうか、あるいは民意だろうか。だとすれば、余りにもお粗末な憲政ではないか。国民一般も議員諸氏も憲法の良き理解者でなく、国際貢献の真髄から枝葉に明るくないのであれば、あのような憲政の稚拙な動乱は避けたくても避けられない。
 転んで、こんな日本に誰がしたと悲鳴をあげても始まらない。理解して我に不利益あれば理解しないのが道理である。非は彼にあって我にはないと思うのが人情である。結局、全ては我がしたことである。その道理と人情を戦後40数年、彼も我も手塩にかけて温存してきたではないか。
 以上、委曲を尽くせないが、“あの騒ぎはどこへやら”と言おうとして言えなかった前号以来の忸怩たる心中をご賢察いただきたい。
 PKO法案が通り、地球サミットが終わった。

(『JANICnews』No12、1992年6月20日)