インド

 暮れに北インドへ行った。2週間余りの貧乏旅行であったが、帰りに大きな荷物を預かってきた。
 成田の税関では引っ掛からなかったが、正月早々からそれが頭の中に引っ掛かっている。
 ベナレスのガード(沐浴場)、アクラのタージマハル、アジャンタの石窟寺院、シャイプールの風の宮殿、そして、ボンベイのインド門。世界でも有数の観光名所と言えば、なるほど名所である。混沌の中の秩序、多様の中の統一、喧騒の中の静寂、栄華の中の敗北、そして、悠久の中の刹那。たとえ、通りすがりの観光客であっても、インド各地の名所旧跡からこんなメッセージを読み取ることはさほど難しくはない。しかし、インド国内はもとより、世界中から絶えること無く人々を引き寄せるのには他にも理由があるはずではないか?
 生気あふれる町中の雑踏に多少の勇気をもって飛び込めば、威勢のよいチャイ屋の主人や、強引な客引きが身上のオートリキシャの運転手との駆け引きも楽しい旅の思い出にはなる。しかし、その脇には物乞いの母子や行き倒れの老婆がいる。また、ヒンドゥーの教えに従い修行を積むサドゥーと擦れ違ったかと思えば、河岸で茶毘に付される遺体が何事も無く人込みの中を担がれていく。
 聖と俗、貧と富、貴と賤、生と死、そして、浄と不浄が混然一体となったインドの日常を支え、歴史を動かしてきたものとはいったい何なのか?
 巨大な機構と最新の技術によって、経済の繁栄と社会の安全を得ることはできる。思想よりも情報を優先し、価値よりも効率を尺度とすれば、未来を予測し、世界を先導することもできる。私たちの多くがそう信じてはいないか。しかし、そんな機構や技術が万能でないことは、そんな情報や効率が信用できないことは、インドではとっくの昔にお見通しだったのではないか。
 そんな厄介な疑念に包まれた荷物をうっかり預かってきてしまったのである。
 インドを旅した日本人は、インドを嫌悪するか、インドに魅了されるかのどちらからしい。どうやら後者の末席を汚す羽目になってしまった。

(『JANICnews』No.26、1995年3月28日)