アフリカの巨像

 用あってケニアを訪れた。ケニアは2度目の訪問だったが、今回は機会あって、アンボセリ国立公園を訪れた。わずか1週間という旅程ではあったが、日頃都会の喧噪や雑踏を通過して、繁忙な日常に埋没しがちな自分にとっては、新鮮かつ貴重な1週間となった。
 というのも、土埃の舞うサファリ用のバンの中で、ゾウやキリンを観察しているつもりの自分が、雄大で華麗な彼らに観察されていることを自嘲しつつも、実はこんな一瞬があったからである。
 その一瞬の伏線は9年前まで遡る。縁あってアフリカは中央アフリカ共和国のバンギ国際空港に降り立ったのは、1985年の3月、24才の時である。それまで何ひとつ不自由なく育ち、社会の欺瞞や清濁に気付くことなく過ごしてきた自分にとって、これがいわゆる「南」の国々との最初の出会いであり、それからの在住2年という時間は、悪戦苦闘と自問自答の連続であった。
 世界の最貧国のひとつに数えられ、国際政治や国際経済の末端に置かれたこの国。そして、世界地図さえ見たこともない木訥としたこの国の人々は、日本の教育制度が教え、日本のマスコミが伝える以上を教え伝えてくれた。将来は国際的な分野で何か出来たらという茫漠とした夢を夢見ていた自分は、初めて自分の知識の矮小さや情報の軽薄さを思い知らされると同時に、日本社会や国際社会の虚構や矛盾に直面し、唖然としたのである。そして、その時の心理的な衝撃や精神的な葛藤は、熱帯モンスーンの異文化の中で徐々に発酵しながら、その後に大きな波紋を残していった。
 その波紋が“国際協力”という変幻自在な世界へ自分を導き、“NGO活動”という奇々怪々な境遇に自分を飛び込ませたことに、今は何の後悔も未練もない。
 ただ、暖衣飽食と東奔西走の毎日の中で、社会の急激な変化を見据えようとするあまり、また、安易な妥協や将来の不安を振り払おうとするあまり、ただ萎縮し硬直するもうひとりの自分の姿が時として鏡に映し出されるのが気がかりだった。
 群れのリーダーとなる巨象は、広大なサバンナのほんの些細な環境の変化さえも認知し、何キロも先の地中に水源があることを感知する能力があるという。
 サバンナの草原を闊歩する巨象と眼が合った時、なぜか、あの頃の感動や発見が蘇り、それまで自分を覆っていた緊張が弛緩したのは決して偶然ではないのだろう。
 何かを守り、何かを変えようとするこの難解で困難なご時勢の中で、あの頃の自分にふと救われた。

(『JANICnews』No.20、1994年2月10日)

<ひとこと>
 1993年10月に、郵政省「国際ボランティア貯金評価調査事業」の現地調査のため、92年2月に続いてケニヤを再訪。この時は、預金者を代表して全国各地の市長や郵便局長らで構成される視察団を引率しての調査だった。そのため行程の中にアンボセリ国立公園への“視察”が組み込まれていた。