55年体制

 大正3年というから、今から80年も前の話である。第1次世界大戦が始まったこの年、東京は京橋の交差点のそばに、鉄筋コンクリート4階建てのビルが完成した。このビルの屋上に立つと、東京湾から皇居までが一望できたというから、当時としては、超近代的な高層ビルとして異彩を放っていたに違いない。
 18才で渡米、小学校で英語を学び、苦学の末、コロンビア大学を卒業。帰国後、製薬会社を興して成功した星一(ほし・はじめ)氏は、このビルを拠点に新規事業に着手、日本で初めてモルヒネの精製に成功する。これを皮切りに、コカイン、キニーネなど、当時の日本が輸入に頼っていたさまざまな薬品を次々に開発、事業は右肩上がり、かつ多方面に拡大していく。
 しかし、日本の国益と将来を思い、私利私欲を捨てて、事業の発展に人生を賭けたものの、アメリカ仕込みの彼の言動をよく思わない人々も少なからず存在した。事業の拡大に伴い、関係省庁への申請や同業者との調整に奔走するが、巨大迷路のような官僚機構の中で、彼の民主的な正論は反発を呼び、金銭と情実に支配された製薬業界の中で、彼の自由な発想は嫉妬を招いていく。
 そして、さまざまな困難や逆境を乗り越えていく彼に対して、当局は、政府や業界と手を組んでの組織的かつ陰湿な妨害行為を繰り返した。彼は窮地に追い込まれ、最後には刑事被告人にまで仕立てられてしまう。捏造された裁判では、結局は無罪になるが、彼は、部下を亡くし、事業を奪われ、会社さえも・・・。
 以上は、星一氏を父とする星新一氏の『人民は弱し 官吏は強し』(新潮文庫)のあらすじである。
 この伝記小説の背景は大正時代ではある。しかし、この作品が発表された1967年、すなわち、日本の高度経済成長期のまっ只中においても、そして、バブル崩壊後の今日においても、その背景はモノクロとカラーという色彩の相違はあっても、基本的な構図に変化はない。
 このたびの“念願”の新政権は、政・官・業(財)のいわゆる「鉄の三角形亅の打破や「規制緩和94項目」を掲げてはいる。しかし、こうした政策が日の目を見るまでに、実はあれから80年の歳月が流れたのである。
 果たして、星一氏の「人民は弱し 官吏は強し」という無念が晴らされる日は近いのだろうか。
 「55年体制亅が崩れた。

(『JANICnews』No18、1993年9月25日)

参考:星新一『人民は弱し 官吏は強し』新潮文庫、1978年。

<ひとこと>
 1955年に保守合同による自由民主党と左右両派が統一した日本社会党が新たに発足し、それ以降、“万年与党”の自民党と“万年野党”の社会党による二大政党による政治体制が続いた。1993年の総選挙で、自民党が過半数割れとなり、政治改革を掲げた日本新党党首の細川護熙を首相とする反自民の連立政権が誕生した。